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ライカ関連トピックス

ライカの歴史vol.02「バルナック型 第二編」レンズ交換ができないライカ〜A型・B型ライカ〜

どんなときでも失業者は出さない。
そんな伝統的理念のもと、第一次世界大戦直後の不況を乗り切るべく、バルナックのカメラに注目した当時の社長ライツ2世。しかし、周囲からの理解はほとんど得られなかった。1925年、ライプチッヒ見本市にこのカメラを出品するかどうかを決める社内会議ですら、非常に難航していた。
「シネフィルムを使用する革命的カメラが、市場に受け入れられるだろうか」
「大量生産に必要な莫大な投資を、回収できるほど売れるだろうか」
「今まで顕微鏡専門の工場が、カメラを新たに手掛けてトラブルは起きないだろうか」
いくつもの後ろ向きな意見が飛び出したが、最終的には社長のライツ2世が500台の出展を決断する。それは、後に誰もが「英断」と賞賛する決断だった。

前回は市販される前の「ライカ誕生秘話」だったが、今回は前回の続編「バルナック型(第二編)」として、A型・B型ライカの話題を。

目次

  1. A型(Ⅰ型)の変遷
    1-1.ライカI(A型)アナスチグマット付
    1-2.ライカI(A型)エルマックス付
    1-3.ライカI(A型)旧エルマー付
    1-4.ライカI(A型)新エルマー付
    1-5.ライカI(A型)近接エルマー付
    1-6.ライカI(A型)ヘクトール付
  2. 特別なライカ
    2-1.ゴールデンライカ
    2-2.デラックスライカ
  3. B型(Ⅰ型コンパー付き)
    3-1.B型が誕生したわけ
    3-2.B型の特徴
    3-3.B型のバリエーション
    3-3-1.旧コンパー付
    3-3-2.新コンパー付
    3-3-3.近接エルマー付
    3-4.B型がレアな理由
  4. まとめ

1.A型(Ⅰ型)

周囲の反対を押し切って、「ウル・ライカ」や「ヌル・ライカ」を改良して完成したバルナックのカメラを、ライプチッヒ見本市に出品した当時の社長・エルンスト2世。しかし、意外にもライプチッヒ見本市の反響は大きく、世界中から引き合いが起きる。見本市開催の年には約1,000台が売れ、翌1926年には約2,000台、1927年には約3,000台、1928年には約8,000台、1929年には約15,000台と飛躍的な伸びを見せた。

そして、そのとき販売されたライカの俗称こそ「A型」である。

俗称と言ったのは、実はライツ社では、A型、B型、C型を区別せず、全て「Ⅰ型」としている。かろうじてB型は「Compur」の注釈があるものの、A型とC型の区別は表記がない。そのため、アメリカでは発売順にA型、B型、C型と称するようになり、当時の日本もそれに倣った。

ところで、このA型はライツ社において初となる量産型カメラだ。ピント合わせはコードFODIS単独距離計を使用。レンズは沈胴式固定式で、そのレンズによって6つのバリエーション(①アナスチグマット付②エルマックス付③旧エルマー付④新エルマー付⑤近接エルマー付⑥へクトール付)があった。

1-1.ライカI(A型)アナスチグマット付

ヌル・ライカに引き続いて生産されたNo.130からの285前後の150台程度が、ライツ・アナスチグマットというレンズを装着したA型アナスチグマット付である。アナスチグマットは50mmF3.5の3群5枚のレンズで、最短撮影距離は1m。
このモデルの特徴として、シャッター目盛りはエルマックス付と同じだが、巻き返しレバーの形が以後のA型と異なる点である。

1-2.ライカI(A型)エルマックス付

エルマックス付の製造台数は約1,000台。ただし、エルマックスとアナスチグマットは名前が違うだけで性能はまったく同じレンズである。
アナスチグマットは、レンズの「非点収差補正レンズ」という意味だが、当時この名前は他社にも多く見られたため、オリジナルの名前を付けようと、社長のエルンスト・ライツのEとL、レンズ設計のマックス・ベレクのMAXを組み合わせ、「エルマックス」と変更された。エルマックスもアナスチグマット同様、3枚張り合わせの3群5枚構成。最短撮影距離は1m。
エルマックス付とその後のA型の相違点は二つ。
一つが、シャッター速度。エルマックス付きには、Z(B)、1/25、1/40、1/60、1/100、1/200、1/500の7段階ある。
もう一点の相違点は、フィルムを巻き上げる際の音である。エルマックス付は「チリチリ」という音を発する。

1-3.ライカI(A型)旧エルマー付

アナスチグマットもエルマックスも3枚張り合わせの3群5枚構成だったため、制作コストは非常に高かった。また、A型ライカは大方の予想に反し、1925年におよそ1000台が売れ、後玉が3枚張り合わせと製造が面倒なエルマックス・レンズの供給が間に合わない状況に陥った。
一方、ちょうどその頃、ゲルツ社(C.PGoerz)のゼンドリンゲル(Sendinger)ガラス工場にて、当時としては飛び抜けて屈折率が高く、色彩拡散度の少ない新種ガラスが開発された。そこで、ライツ社は早速これを使った後部2枚貼り合わせの新レンズを設計。エルマー(Elmar)と名付けライカに採用した。
このレンズの評判は非常に良かった。しかし、約1万台を作ったところでガラスの供給先と種類が変わってしまうため(変更後は写りが悪くなったとの評価が多い)、その変更前と後を区別するため、ゲルツ社供給のガラスを使ったレンズ付ライカを「旧エルマー付」と呼んでいる。
なお、このモデルからシャッタースピードダイヤルの目盛りに変更が生じ、以降のライカにもそれが適用されている。1/25が廃止されて1/20、1/30が組み込まれ、Z(B)、1/20、1/30、1/40、1/60、1/100、1/200、1/500の8段階となった。

1-4.ライカI(A型)新エルマー付

ゲルツ社はおよそ1万台のレンズをライツ社に提供したところで、エルネマン社、コンテッサ社と共にツァイス社に合併され、旧エルマー用のガラスをライツ社に提供できなくなってしまう。そこで、ライツ社は1928年、やむをえずイエナ(Jenaer)のショット社(O.Schott)からこれに似たガラスの供給を受け、レンズの曲率半径にわずかな変更を加えてエルマーの製造を続けた。これが「新エルマー」である。製造番号13500あたりから切り替えられたと言われており、設計内容は旧エルマーと同じ50mmF3.5。
しかし、当然これはライツ社が呼び分けたものではない(そもそも、ライツ社は「A型」との呼称は採用しておらず、全てⅠ型としている)。ユーザーが勝手に名付けたものである。というのも、ゲルツ社提供のガラスを使用した旧エルマーの方が写りがよく、人気が高かった。そのため、ユーザーが区別するために、ゲルツから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「旧エルマー」、ショットから供給されたガラス材で製造されたエルマーを「新エルマー」と便宜上そのような俗称を生み出して今に至る。
旧エルマーと新エルマーの外観上の違いはほとんどなく、前者はフィルターのねじ切りが細かく、後者は粗い。また、沈胴鏡から外さない限り判明しないが、旧エルマーと新エルマーでは鏡胴の作り方が異なる。

1-5.ライカI(A型)近接エルマー付

1927年から1931年にかけ、イギリスのライカ代理店だったOgilvy &Co.の注文を受け、旧エルマー付も新エルマー付も、両方ともそれぞれ前期・後期型に分かれる。違いは最短撮影距離である。
旧エルマー付の前期は1mだが、後期型は0.5m。
新型エルマー付の前期は0.5mで、後期型は1mに戻っている。
したがって、近接エルマー付は旧エルマーの後期、及び、新エルマーの前期に相当する。

1-6.ライカI(A型)ヘクトール付

後に交換レンズとしても供給された、沈胴式3群6枚のヘクトール50mmF2.5を装着したライカ。販売期間は1930年〜1932年頃。製造番号は38622から71230の間で、およそ1,330台。
ちなみに、ヘクトールの名はレンズの設計者マックス・ベレクの愛犬の名前が由来。

2.特別なライカ

新エルマー付の後期には新型シャッターボタンが採用され、ここで一旦、A型は完成形を迎える。この頃にはライカの人気も倍増しており、製造台数も年々順調に増加。ライツ社はもともと、特別な製造番号のライカは特別な人に特別な仕様で贈呈してきたが、1929年、とうとう一般向けにも特別なライカを発売する。
それがゴールデンライカとデラックスライカだ。
しかし、ライツ社のカタログ上では、ゴールデンライカもデラックスライカも、両方とも「デラックスライカ」としている(日本版カタログでは「色ライカ」と記載)。
ここでは便宜上、革張り金メッキ仕上げのライカをゴールデンライカ、本革張りのライカをデラックスライカと呼ぶ。

2-1.ゴールデンライカ

それまでのライカは黒塗り仕上げだったが、金属部を金メッキし上げ、レンズ部分の一部を梨地ではない金メッキ仕上げを施したライカが、いわゆる「ゴールデンライカ」である。
また、ライカは発売当初から、ガタパーチャ(グッタペルカ、グッタペルヒャとも。マレーシア原産のアカテツ科の樹木およびその樹液から得られるゴム状の樹脂。マレー語で「ゴムの木」の意。)という合成皮革を使用していたが、ゴールデンライカではその革張り部分にトカゲの皮を張り、緑、青、赤、茶の四種類を用意。さらに、ケースは特性ワニ皮で、これも同じ四色あり、それぞれ同色のケースに入れられた。
ドイツではLelux RM400とLessalux RM475が発売され、両方ともトカゲ皮張りの金メッキ仕上げでワニ皮のケース付きだったが、後者のLessalux RM475は距離型付きだった(しかし、日本にはこの金メッキ距離型付きは輸入されなかった)。
ライカの成功を記念し、製造番号34803から34818の16台がクリスマスに発売されたとする説と、製造番号28692から68834の間に合計95台が存在するという説があり、今のところ詳細はわかっていない。

2-2.デラックスライカ

黒塗り仕上げで、緑、青、赤、茶の四色の牛のもみ皮張りライカが「デラックスライカ」である。ゴールデンライカと同様、同色のケースが付属した。製造番号36333から69009の間で184台が製造されたと言われている。

3.B型(Ⅰ型コンパー付き)

3-1.B型が誕生したわけ

「B型ライカ」とは日本及びアメリカでの俗称で、ライツ社はもちろん本国ドイツや欧州では「I型」にカテゴライズされ、「I型コンパー付き」と呼ばれている。
当モデルが企画された理由は諸説ある。
まずは、エミール・G・ケラー(Emil G. Keller )の説。エミール・G・ケラーは1979年までエルンスト・ライツに勤務し、人生の大半をライツに捧げた男だ。そんなケラーは、B型が開発された理由についてこう話している。
「A型のシャッターには根本的欠陥があって、寒冷地で動作しなくなった上、幕がべたついて交換が必要となった。当然その間、ユーザーに渡す代替機が不可欠となったのだが、そこで用意されたのがB型だった。
ちなみに、このトラブルはラーン川から氷を採取して寒冷テストを実施し、シャッターベアリング径を拡大するとともにアメリカのグラフレックスから幕を輸入。こうしてトラブルを解消したのだが、同時にこのカメラも製造中止となった」

もう一つは、最もまことしやかに語られている有名な説。

1925年の春、ライプチッヒの見本市に出品されたライカは予想以上の人気を博し、売れ行きを順調に伸ばした。しかし、好調な売れ行きを示せば示すほど、A型ライカにスロースピードシャッターが欠如していることが欠点として目につくようになった。当時のレンズシャッター付き中・大型カメラには、すでにスロースピードシャッターが付いていたからだ。そこでライカにコンパーシャッターを採用することとなり、B型ライカが誕生した。
という説。

いずれにせよ、B型はフォーカルプレーンシャッターではなくレンズシャッターを装備し、ライプチッヒ見本市の翌年の1926年に発売開始となり、1931年まで製造された。製造番号は5701から51715までの中にある、と言われているが、実際にはこの番号外の製品も多いようだ。

※フォーカルプレーンシャッターとは、物理的な先幕(さきまく)と後幕(あとまく)がセンサー前面にあって、先幕が先に走って、その後から走る後幕との時間差によりフィルムに露光を与える原理のシャッターのこと。一方、レンズシャッターとは、文字通りレンズ内にシャッターが組み込まれているシャッターのこと。撮影レンズ群の中間、または前後部に装着されているシャッターのことで、2〜5枚の薄い金属板の羽が同時に開閉し、決められた光量をフィルム面に当てるように設計された露出機構。

3-2.B型の特徴

B型とA型における外観上最大の特徴は、B型はレンズシャッターを装着している点だ。しかし、それにより、A型の強み「巻き上げとシャッターチャージが同時にでき、二重写しが防げる特徴」を捨ててしまい、さらにシャッターが回転ヘリコイドに取り付けられ、ピント合わせの際シャッター位置が変更するという操作性の悪さが目立ってしまう変更となってしまった。
とは言え、A型ライカでは無限遠から1mまでの間にヘリコイドは1回転するが、このB型ではピッチの変更により1/4回転とし、少しでもシャッターレリーズの位置がずれないように、と設計されている。

撮影枚数表示盤がフィルム巻き上げノブから離れていて、A型のシャッター速度調整ノブがあった位置に移動している点も大きな外観上の特徴だ。そして、この撮影枚数表示盤は枚数目盛りが固定されており、中心にある1本の指針が1回転より1目盛りだけ少なく回転して枚数を表示するなど、B型とA型では巻き上げ機構は大きく異なる。

3-3.B型のバリエーション

唯一のレンズシャッター搭載のライカ「B型」。
A型のシャッター速度は、再低速が1/25(旧エルマー付で1/20)で、当時のフィルムの感度がISO6〜12だったため対処できず、デッケル社製のレンズシャッター「コンパーシャッター」が搭載された。コンパーはカール・ツァイス財団と資本提携していたフリードリッヒ・デッケル社のシャッターで、世界でも一級品と言われていたレンズだ。
コンパー装着でシャッター速度は最低速1秒となり、A型最大の欠点と指摘されていたスローシャッター未対応という面は克服した。シャッター目盛りはT、B、1、1/2、1/5、1/10、1/25、1/50、1/100、1/300の10段階。バリエーションは3つあり、「旧コンパー付」「新コンパー付」「近接エルマー付」がある。

3-3-1.旧コンパー付

旧コンパー付は、ダイヤルセット式コンパーが装着されているモデルの俗称で、公式生産台数は638台。
旧コンパーシャッターは、絞り目盛りはシャッター上部側面(速度変更ダイヤルの後ろ)にあって、シャッター下部側面にある絞り変更レバーを回転させると、これに連動した指針が上面目盛り板に絞り値を示すようになっていた。
また、シャッター前面上部にシャッター速度変更用ダイヤルがあり、正面に正対して左側にバルブ、タイム、そして上部にシャッター速度切り替え用のMが刻まれた切り替えダイヤルがある。
しかし、このシャッター設定がダイヤル式であったため高い頻度で故障が発生し、リムセット式の新コンパーに変わることとなった。

3-3-2.新コンパー付

壊れやすいという旧コンパーの欠点をカバーするために誕生したのが、新コンパーである。主な変更点は、シャッター設定がダイヤル式からリムセット式になったことである。公式生産台数は1607台。
新コンパーシャッターでは、絞り目盛り板はシャッター前面下部に移動し、絞りとシャッター速度を両方とも正面から見て調節できるように改められた。また、シャッターチャージレバーとレリーズレバーの位置も変わり、シャッターチャージレバーは旧コンパーでは正面から見て右側、レリーズレバーは左上にあり、新コンパーではチャージレバーが左上、レリーズレバーが左下になった。
旧コンパー同様、シャッター前面上部にシャッター速度変更用ダイヤルがあり、正面に正対して左側にバルブ、タイム、そして上部にシャッター速度切り替え用のMが刻まれた切り替えダイヤルがあるが、新コンパーではシャッターの外輪を回転させることで、これらを全て調節できるよう改善された。

3-3-3.近接エルマー付

A型と同じく、B型にも旧エルマー付と新エルマー付が存在するが、13200以下はフィルター用のねじが切ってないものと、切ってあってもピッチが細かく新エルマー用フィルターが入らないものとがある。そして、イギリスのライカ代理店だったOgilvy &Co.の注文により、最短撮影距離が0.5mまで接写できるタイプも何ロットか製造されている。

3-4.B型がレアな理由

B型はコンパーシャッター装着により、A型の欠点だったスローシャッター機能は手に入れた。しかし、その反面、ライカの大きな魅力を手放すこととなった。フィルムの巻き上げとシャッターのチャージを同時に1作動で行うという、ライカ最大の特徴である。
さらに、二重写しを犯しやすいという欠点を持つこととなり、その上シャッターのチャージを忘れて撮影のチャンスを逃しやすくなった。
また、距離をヘリコロイドの回転によって合わせるため、それにより各距離におけるシャッターレバーの位置が移動し、結果、お世辞にも押しやすいボディシャッターとは言い難いものとなった。
こうした欠点が多くあったため、当時は駄目モデルとして売れず、それゆえ現在ではレアモデルとなっている。

4.まとめ

ライカの市販第一号機は、1925年のライプチッヒ見本市と同時に発売されたA型だ。当時は大きな乾板を使うプレートカメラが主流だったが、ライカは映画用35mmを使い、映画の2コマ分相当の24×36mmという小さなフィルムサイズをを採用。世界に大きな衝撃を与えた。
画質の問題が懸念されたが、レンズの高性能化を図ることでこれを解決。「小さなネガから大きなプリントを得る」という発想で、カメラに対する既成概念を大きく塗り替えた。つまり、A型はカメラの歴史においてとても重要な位置を占めるのである。

そんなA型は、レンズの種類により大きく6つに分類される。
最初のA型はアナスチグマット付。次に、アナスチグマットと同じレンズだが、名称だけ変更したエルマックス付。50mmF3.5の3群5枚のレンズで、最短撮影距離は1mだ。

この次に登場したのが、エルマックスよりコストを下げるために開発された旧エルマー付。
「エルマー」に新旧があるのは、レンズに使用するガラスの供給先がゲルツ社からショット社になったからだ。そして、古い方が評判が良いため、ユーザーが独自に新旧で呼び分けた。ゲルツ社のガラスを使っているのが旧エルマー付、ショット社のガラスを使っているのが新エルマーだ。

ところで、新旧いずれのエルマーも、イギリスのライカ代理店だったOgilvy &Co.の注文を受け、最短撮影距離が0.5mのものがある。製造期間は、旧エルマー付の後期、新エルマー付の前期に相当し、それらは「近接エルマー付」と呼ばれている。

A型の中で最も遅くに発売されたのが、ヘクトール付。沈胴式3群6枚のヘクトール50mmF2.5を装着したライカだが、これら6つのA型には、すべてスローシャッターがなかった。そこでコンパーシャッターを装着したB型が生まれることになるのだが、こちらは完全に失敗に終わる。

こうして、ライカは色々な成功や失敗を重ねるのだが、A型を作る一方で、レンズの交換ができるライカを開発する。いわゆるC型であるが、今回は「ランズが交換できないライカ」までの話。

では、また近いうちに。

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