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ライカ関連トピックス

ライカの歴史vol.04「バルナック型 第三編(後編)」レンズ交換ができるライカ(後編)〜Ⅲ型・250型・Ⅲa型・Ⅲb型〜

ほとほと、人間の欲求には限りがない。当初、ライカの目的は小さくても良く映るカメラを開発することだった。しかし、それを達成するとスローシャッターが欲しくなり、ところがそのスローシャッターによってライカの特徴が失われると、ユーザーはスローシャッターのことなど忘れてレンズが交換できるカメラが欲しくなる。このときは結局スローシャッター機能は取り除かれ、ライカはC型の登場によりレンズの交換ができるようになるのだが、次は測距が簡単なカメラがお望みとなる。

というわけで、レンズの交換も出来て測距も手軽なⅡ型が登場し、ピントも合わせやすくなったのだが、次にユーザーが求めたものとは?

今回は前回に引き続き、Ⅱ型以降のライカの歴史を。

目次

  1. Ⅲ型(DⅢ)
    1-1.Ⅲ型(DⅢ)誕生
    1-2.Ⅲ型(DⅢ)のバリエーション
    1-2-1.初期型
    1-2-2.クローム仕上げ初期型
    1-2-3.後期型
    1-2-4.クローム仕上げ後期型
    1-2-5.セミクローム仕上げ型
    1-3.Ⅲ型(DⅢ)と同年に発売されたレンズ
    1-4.DⅡ、DⅢ と呼ぶこととなった原因
  2. 250型
    2-1.250型の特徴
    2-2.現像
  3. ライカ・コンタックス論争
    3-1.コンタックスとは
    3-2.コンタックスの概略
    3-3.ライカ・コンタックス論争
  4. Ⅲa型
    4-1.Ⅲa誕生
    4-2.Ⅲaのバリエーション
    4-2-1.ライカⅢaブラック
    4-2-2.ライカ250
    4-2-3.ライカ250モーター
    4-2-4.Ⅲaドイツ海軍用
    4-2-5.Ⅲaモンテザール
    4-3.新レンズ群
  5. まとめ

 

1.Ⅲ型(DⅢ)

1-1.Ⅲ型(DⅢ)誕生

1926年、ライツ社はライカ最大の欠点であったスローシャッターの不備を、コンパーシャッターを搭載させたB型で解決しようと試みる。しかし、評判はいまひとつ。ライツ社の思惑は完全に外れてしまう。
そこでライツ社は、コンパーシャッターを搭載しないスローシャッターの開発に取り組み、1933年、とうとうそれに成功する。そのライカはⅢ型と呼ばれ、ボディー前面上部に、T、1、1/2、1/4、1/8の緩速度シャッター速度調節ボタンを持ち、そしてこれにより、ライカは1秒から1/500秒までの11種類のシャッター速度を持つようになった。
さらに、Ⅲ型では距離計のアイピース内部に1.5倍の可変倍率式の望遠装置(視度補正装置のようなもの)が組み込まれ、基線長がその倍率分だけ長くなったのと同様の性能を持つようになり、測距性能は格段に向上した。この変倍用レバーは∞↑↓のマークがあり、その方式は、レバーの位置こそ変更が加えられたが、Ⅲg型まで採用された。そして、このⅢ型以来はネックストラップ用のアイレット(ストラップ用リングをつける金具)が付くようになった。
Ⅲ型には初期型、クローム仕上げ初期型、後期型、クローム仕上げ後期型、セミクローム仕上げ型などがあり、1933年〜1939年にかけておよそ7万6千台が製造された。Ⅱ型(DⅡ)と並行して生産されていたが、製造中止はⅡ型より早い。すぐに1/1000シャッター機能を搭載した後続機、Ⅲaが発売になったためである。

1-2.Ⅲ型(DⅢ)のバリエーション

1-2-1.初期型

底蓋取り付け用突起の直径はA型以来の3mm。また、シャッターダイヤルの径もとても小さく、12.5mm。

1-2-2.クローム仕上げ初期型

底蓋取り付け用突起の直径は、かなり初期のものを除けば大方が5mm。また、シャッターダイヤルの径も小さく12.5mm。Ⅱ型(DⅡ)やスタンダード型の時期と同じく、梨地メッキの砂目が非常に細かく、後の梨地メッキに比べて光沢が強い。製造No.は111501からと言われている。

1-2-3.後期型

底蓋取り付け用突起の直径は5mm。また、シャッターダイヤルの径も大きくなり13.5mm。

1-2-4.クローム仕上げ後期型

シャッターダイヤルの径は13.5mm。梨地メッキの砂目が荒くなるのが特徴。

1-2-5.セミクローム仕上げ型

1936年後半から1937年にかけて、生産効率を向上させるため、ニッケル鍍金を廃止し、全てのメッキ仕上げを部品をクロームメッキに統一。これ以後生産された黒塗り仕上げ仕様のライカは、ニッケルメッキからクロームメッキに変更された。ちなみに、日本ではセミクローム型と呼んでいるが、世界的にはそのように区別している国はほとんどない。

1-3.Ⅲ型と同年に発売されたレンズ

Ⅲ型と同年の1933年に、標準高速鏡玉ズマール50mmF2とヘクトール135mmF4.5が発売された。

ズマールは4群6枚構成で、ライツ社初の大口径レンズだった。その後ズミターに置き換えられて、1940年に製造を中止されるまで長く親しまれた。初期のものはクロームメッキタイプの固定鏡胴で、レンズ先端部は黒塗り。「ひょっとこ」という愛称で呼ばれていたが、翌年には沈鏡胴のものに置き換わり、初期型はかなりの珍品と言われている。

ヘクトール135mmF4.5は3群4枚構成のレンズである。それまでのエルマー135mmF4.5がライカ判専用に設計されたレンズではなかったため、より高度のレンズとして、ライカ判をカバーさせる目的で設計された。そのため、エルマー135mmF4.5は他の大判カメラに流用できたが、ヘクトール135mmF4.5は他の大判カメラに流用できない。
ヘクトール135mmF4.5の販売期間は非常に長く、1933年からエルマー135mmF4に置き換えられる1960年までの27年間、ライカの代表的な望遠レンズの一つとしてその役割を果たした。なお、初期型はエルマー135mmF4.5と同型で、そのエルマー135mmF4.5は、ヘクトール135mmF4.5の販売開始3年後の1936年にの製造中止となった。

1-4.DⅡ、DⅢ と呼ぶこととなった原因

ライカの呼び方が複数あるのは先述の通りである。そして、日本ではライツ式ではなくアメリカ式に倣って呼称するのが一般的だったが、Ⅱ型から若干様子が異なり始める。Ⅱ型はアメリカではD型であり、Ⅲ型はF型だ(Ⅱ型とⅢ型の間にスタンダードが発売されており、アメリカではそれがE型)。しかし、日本ではⅡ型をDⅡ、Ⅲ型をDⅢと呼ぶ。そして、このいきさつがいささか面白いので紹介しておく。

Ⅱ型が新型として発売されて間もない頃、当時のカメラ技術指導者として有名だった吉川速男は、シュミット商会(ライカの総合代理店)の井上鍾に訊ねた。
「今回のライカはD型と呼ぶのですか」
その時の井上の回答がこう。「ライカではⅡ型と呼んでいるようです」
シュミットとしては、ライツ式に倣ってⅡ型と呼ぶ意思はあった。しかし後日、吉川が雑誌に寄稿する際、なぜかⅡ型は「ライカDⅡ」として紹介され、以後それが定着。DⅢ、DⅢa、DⅢbと数字の前にDがつくこととなった。

こうした事情があったため、時折、初期のⅡ型をDⅠと勘違いして呼ぶ人がいるが、日本にそうした過去はなく、誤りである。また、戦後の日本では、このDを付ける習慣はなくなり(Ⅰ型はアメリカ式での呼称が一般的だが)ライツ式で呼ぶことが多くなった。
なお、アメリカではⅡ型はD型、スタンダードがE型、Ⅲ型がF型である。

2.250型

2-1.250型の特徴

Ⅲ型が出た1933年、これと同じモデルで250枚撮りの特殊型が発売された。「リポーター(Reporter)」である。ただし、この名称はライツ社による社内的な名称で、カタログや一般ではライカ250型を意味する(ただし、アメリカではⅢ型ベースの250型は「FF型」、Ⅲa型ベースの250型は「GG型」と呼んでいる)。250型の製造目的は、記録や複写など、一度にたくさんを撮影するシーンでの利便性向上だった。「リポーター」というその名の通り、報道用であり記録用だった。
250枚と言えば、36枚撮りのマガジン7本分に相当するが、250型に装填すれば普通のライカで別に6本のマガジンを持ち歩く必要がなくなる。また、250型を持つ方が交換レンズ等の付属品携行には便利で、何より6回もフィルム交換をする時期について心配する必要がなくなるメリットは大きかった。

250型の外観上の特徴は、カメラの両端が大きく膨らんでいることである。長さ10m、250枚分のフィルムを収容するマガジン室があるからだ。なお、巻き返しの負担を軽減するため、ダブル・マガジン方式を採用。そのため、巻き返し用の切り替えレバーはない。
三脚穴は巻き取りマガジンの開閉用レバーを優先したため、通常のライカとは異なり底蓋中央付近に二つある。そして、マガジン室が大きく前方に突出しているため、後に発売されたミラー・ボックスを取り付けることはできない。
初期のものはスローシャッターのないものがある一方で、後期のものは1/1000秒がついている。また、Ⅲc型が発売された1940年以降の250型の中には、シャッターレリーズ機構がⅢc型と同じ方式になっているものがある。

2-2.現像

フィルムの長い250型の現像には、特殊な現像タンクを使用しなければならなかった。そこで、ライツ社はコレックス社に250型用のコレックス・タンクを用意してもらい、必要のある人はライツ社ではなく直接コレックス社へ注文して現像するような体制を敷いていた。

3.ライカ・コンタックス論争

3-1.コンタックスとは

コンタックス(Contax 、CONTAX)は、ドイツのカメラブランドである。ツァイス・イコン社(ZEISS IKON)のレンジファインダーカメラを指すケースもあれば、カール・ツァイスと日本のカメラメーカー「ヤシカ」との共同事業として、1975年に販売が開始されたカメラとして使われることもある。前者の用法では頭文字のみ大文字表記で、後者の用法では全て大文字表記となる。今回は何の断りもない場合は、「コンタックス」は全て前者の「Contax」を表すものとする。

3-2.コンタックスの概略

コンタックスはツァイス・イコン社のカメラである。そして、ツァイス・イコン社はカール・ツァイス財団の傘下企業であり、カール・ツァイス財団と言えば、ライカの生みの親「オスカー・バルナック」が働いていた会社である。
ツァイス・イコン社のコンタックスは非常に優れたカメラだった。しかし、戦後はドイツの東西分割に伴い、ツァイスイコンも分割。西側のツァイスはコンタックス銘でレンジファインダーカメラを、東側のツァイスはM42マウントの一眼レフカメラを製造した。しかし1961年、コンタックスは一時休眠ブランドとなり、1971年には西側のツァイスがカメラ事業を中止。以降日本のカメラメーカー等に吸収・合併され、現在は再び休眠ブランドとなっている。

3-3.ライカ・コンタックス論争

コンタックスは非常に優れたカメラだった。初めて世界に登場したのは、Ⅲ型ライカの発売と同じ1932年。当時世界一のカメラメーカーを誇るツァイス・イコン社が、ライツ社のライカの成功に刺激されて発売に至ったと言われている。当時のナンバー1カメラメーカーが技術を結集して設計した精密小型カメラとあって、コンタックスは最初から、完全にライカと対抗できる諸性能を備えていた。そして、コンタッックスが初期のⅠ型からⅡ型(日本名はクロームコンタックス)へと改良されると、ライカ派とコンタックス派との間で「どちらが優れているか」との話題がさかんとなった。
「コンタックスは発売当初よりスローシャッターを備えていたが、ライカのⅡ型にはスローシャッターがない」
「コンタックスは金属製のシャッター膜だが、ライカのシャッター膜は布製ゴム引きのため、寒暑に対してはコンタックスはライカより強い」
上記以外にも、コンタックス派はライカ判と呼ばれるのを嫌ってコンタックス判と称したり、さらにはカール・ツァイスの日本法人カール・ツァイス株式会社が1935年に発行した「コンタックス綜合型録兼使用書」を担当した佐和九郎は、その中でライカの名こそ出さなかったが、明らかにライカの欠点を書き並べ、コンタックスの優位性を強調。その上、K.K.Kのペンネームにて、アサヒカメラ1935年8月号にコンタックス贔屓の記事を寄稿し、公然とライカを批判した。
一方、これに反論するべく、ライカの総合代理店シュミット商会の井上鍾は「降り懸かる火の粉は拂はねばならぬ」という20ページにも及ぶ冊子を作成。その中で「丸いものが弱くて角型のものが強く、薄いものが弱くて厚いものが強いとは、野蛮人か子供騙しの論」など、強い調子でコンタックスを批判した。
こうした論争はドイツ本国の政府にまで待ち込まれるほど発展し、一旦は両者の自粛が要望されて一段落した。しかし、両カメラが存在する間は、優劣論だけは長くくすぶるように存在し続けた。そして、この論争が完全に終止符を打ったのは、ライカが累計100万台を生産した1961年と同じ年のことだった。

4.Ⅲa型

4-1.Ⅲa誕生

このような論争が起きるほど、コンタックスはライカの強力なライバルだった。そして1935年、ライカは1/1000を備えるⅢa型を発売する。これは完全に、1932年に発売されたコンタックスⅠ型の1/1000秒に対抗して発表されたものだった。
Ⅲa型は1/1000秒の追加の他にシャッター内部機構にも改良を加え、Uバネと呼ばれるシャッターブレーキも装着された。これにより、シャッター幕のバウンドをなくすことに成功。そして、この機構はⅢa型だけでなく、これ以降に作られたスタンダード型やⅡ型、Ⅲ型にも採用された。また、Ⅲaはビューファインダーの対物窓の外枠の形状により、「流れ窓」と呼ばれるものと、「角窓」と呼ばれるものがある。
Ⅲa型は次のⅢb型の発売後も製造され、長くⅢb型とともに販売された。アメリカ名は「G型」である。

4-2.Ⅲaのバリエーション

4-2-1.ライカⅢaブラック

ライカⅢaブラックは、1935年発売。黒塗り仕上げで、製造台数はおよそ800台しかなく、ほとんどがイギリスとアメリカに輸出された。

4-2-2.ライカ250

同じく、1935年発売。ベースがライカⅢaの250型で、長さ10m、250枚分のフィルムを収容するマガジン室のあるモデル。ダブルマガジンで巻き戻しの必要がない。

4-2-3.ライカ250モーター

Ⅲaベースの250型に、ゼンマイ式巻き上げ装置ライカモーター、及び、Ⅲcにて採用されたャッターベアリングを搭載したモデル。

4-2-4.Ⅲaドイツ海軍用

ドイツ帝国のシンボル「鷲」とナチスの「鉤十字」が刻印されているモデル。

4-2-5.Ⅲaモンテザール

フランスでのカメラの輸入関税は非常に高率だったため、フランスのライカ代理店S.Tirantyの要請にて、関税のかからない方法で作られたモデル。フランス占領下にあった西ドイツ・ザール地方の小都市St. Ingbertにあったサロプチコ(Saroptico)という小さい光学器械工場にて組み立てられたそれには、軍艦部上面に小さく「Monte en Sarre(ザール製)」の刻印がある。1949年から1951年にかけて約500台が作られたが、「モンテザールライカ」と呼ばれ今では珍品とされている。

4-3.新レンズ群

Ⅲa型発売と同年の1935年、次の4つのレンズが発売された。

まず、ヘクトール28mmF6.3。3群5枚構成の超広角のこのレンズは、当時の小型カメラ用としてはあまりに広角すぎて、一般にはあまり親しまれなかった。しかし、感度の制約が少ないデジタルにおいては、暗いF値のためか開放でも驚くほどシャープな像を結ぶと評判。現在では非常に人気のあるレンズである。専用ファインダーとしてSUOOQが供給され、使用しないときはその前部を半回転させて畳み込むようになっている。バリエーションは、ブラックとクローム仕上げ。製造期間は1935〜1955年。ズマロン28mmに置き換えられるまで製造された。

二つ目は、タンバール(THAMBAR)90mmF2.2。ソフトフォーカスレンズとして作られた3群4枚構成レンズ。特殊な軟調描写を目的として作られ、意図的に収差を残し、解像線を残している。写真黎明期から肖像写真用として発展したレンズ群で、絵画調の描写思考を実現したレンズである。さらに、このレンズには軟調用の黒点を有するフィルター状の付属品があり、それを利用すれば完全な軟調描写が可能になる。専用フードは、ヘクトール73mmやエルマー105mmと同じくレンズに付属しており、逆にかぶせてレンズキャップする仕様。
世界中の小型カメラ用の交換レンズの中でも特異な存在で、製造中止は1949年だが、今日でも非常に高い人気を誇るレンズである。

三つ目は、テリート(TELYT)200mmF4.5。テレタイプの4群5枚構成の望遠レンズ。同時に発売されたミラーボックスと併用して、一眼レフ式に使う。また、テリートのレンズフードとキャップも、前のタンバールと同じ型式を採用している。
一方、ミラーなしで撮影する用として、ミラーボックス側面のシューに差し込んで使う透視ファインダーSFTOOも同時期に発売された。

四つ目は、エルマー35mmF4.5。ヘリコイドやレバーがない、ゾーンフォーカス式のレンズ。目盛りは1.7m、3m、10m、∞の四種類。また、クリックストップによって目盛りを見ずに合わせることができ、距離計とは連動せず、速写性を重視。また、35mm用の専用ファインダーとしてWEISUが用意され、ブラックとクロームがある。通称「スナップショット・エルマー」。

以上四種類の他に、翌年の1936年には超高速鏡玉と銘打って、クセノン(XENON)50mmF1.5が発売された。フィルター径 41mm、最短撮影距離1m。コンタックスのゾナー(SONNAR)50mmF1.5に対抗すべく開発された。レンズ名の由来は、原子番号54「キセノン原子」、あるいはこの原子の語源となったギリシャ語の「未知の」を意味するXenos。

さらに1937年、テリート400mmF5という超望遠レンズも発売された。これにより、ライカは28mmから400mmまでの9種類の焦点距離を持つ13種のレンズを揃えるに至った。そしてその付属品を完備することで、ライカはあらゆるシーンでの撮影に対応できると自称するまでの成長を果たす(その他、エルマー90mmF4が、通称「ダルマ」と呼ばれる形から今日のように細い鏡胴に改良された)。

5.まとめ

発売当初から最大の弱点と言われていたスローシャッターの不備を、1926年、コンパーシャッター搭載のB型にて解決を図るも、その試みは完全に失敗に終わったライカ。しかし1933年、いよいよⅢ型にてそれを成就する。B型発売より、7年もの月日が流れていた。

Ⅲ型は比較的製造数の多いモデルで、バルナック型と呼ばれるライカの中でも今でも高い人気を誇る機種の一つだ。このⅢ型はスローシャッターを完備していたばかりでなく、測距精度が格段に向上。さらに、両サイドにストラップ取付け用のアイレット金具が付属しており、こうした小さな改良が実写時の操作性に大きく貢献し、今使っても充分実用に堪えるため人気が衰えないのであろう。

このⅢ型により、ユーザーの声はあらかた応えたライツ社のライカ。一見小型精密カメラとして、ライカの名声をゆるぎないものにしたかに思えたが、Ⅲ型ライカ発売と同じ1932年のことだ。突如、当時世界一のカメラメーカーを誇るツァイス・イコン社が「コンタックス」を発売する。ライカの成功に刺激されてのことだった。これにより、その後のライカはコンタックスの同行を気にして開発に取り組むこととなる。実際、コンタックスのシャッタースピード1/1000に刺激され、発売に至ったのがⅢaだった。

さて、この続きは次回にて。
次回では、ライツ社に大きな変革が訪れることとなるのだが、いったいライカはどうなるのか……。

また近日中にお目にかかります
お楽しみに。

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