Leica Stock

お問い合わせ 0120-24-8484 見積りフォーム

ライカ関連トピックス

ライカの歴史vol.03「バルナック型 第三編」レンズ交換ができるライカ(前編)〜C型・Ⅱ型・スタンダード〜

A型発売以降、紆余曲折ながらも順調に出荷台数を伸ばし、その基本思想であるシステムカメラを完成させるべく、次々と新しいカメラを開発・発表するライツ社。そして、いよいよユーザーからの声が大きかった「レンズ交換が可能なライカ」を発表するのだが……。

ライカの歴史vol.03「バルナック型 第三編」では、前編・後編の二回に分け、いかにレンズ交換が可能なライカ(板金加工ボディ構造)が生まれたか、から始まり、A型発表以来ライカが大きく変わったⅢc型へとどのように繋がるのか、そんな話題を、楽しく、明るく、わかりやすく。

目次

  1. ライカの普及
    1-1.フィルム会社とライカ
    1-2.ツェッペリン号とライカ
    1-3.顕微鏡とライカ
  2. C型
    2-1.レンズ交換ができるC型誕生
    2-2.C型前期「下三桁の銘記」
    2-3.C型後期「0マーク」
    2-4.交換レンズ
    2-5.初期のファインダー
    2-6.まとめ
  3. Ⅱ型
    3-1.連動距離計の発明
    3-2.8つの条件
    3-2.バリエーション
    3-3.8つの条件
    3-4.Ⅱ型と同年に発売されたレンズ
  4. スタンダード
    4-1.C型とスタンダード
    4-2.スタンダード型のバリエーション
  5. まとめ

1.ライカの普及

1-1.フィルム会社とライカ

ライカはスチール写真としては新しいサイズのフィルムを使用する上、当時としては極小カメラというべきカメラだった。そのため、ライカが写真界に受け入れられるには、相当な努力と強力な支援が必要だった。そして、ライツ社がまず協力を得たのは、アグファ(Agfa)とペルツ(Perutz)という二つのフィルム会社だった。

アグファはライカ用のファインコルン・フィルムを供給し、ペルツはライツ社初の市販カメラ「A型」発売前から、すでにライツ社と付き合っていた。実は、バルナックが試作研究中に使用したフィルムはライカ用に作られたものではなく、ペルツの航空用フィルムだったのだ。もちろん、その後もペルツの支援は続き、ライカの発売とともに、ペルツ社はペルツ・ライカ・スペチャル・フィルムを提供している。
これらのフィルムは共にオルソ(Ortho; 感光する光の波長、つまり色の違い。青色光と緑色光に感光する)であって、シャイナー18〜19度程度で、いま主流のISOで表せば、ISO3〜5ぐらいのものである。

とはいえ、フィルム会社の協力を得たことにより、このカメラは映画関係者に興味を持って使い始めてもらうことに成功する。当時はフィルムの入手も困難で、映画用の残りを集めて自分で使用研究した人も多かったが、そのうちに諸外国からの雑誌などにライカの記事が載り始め、先進的なカメラ・写真愛好家の興味を呼んで普及への大きな一歩を踏み出した。

1-2.ツェッペリン号とライカ

エルンスト・ライツは、昔から特別な製造番号の顕微鏡は通常の販売ルートに乗せず、著名な科学者に贈呈していた。これはノーベル賞よりも古くから行われていて、当時はノーベル賞と比較されるほど名誉なことだった。
そして、こうした贈呈はライカについても同様に行われ、特別な製造番号のライカは、著名な科学者や探検家、有名な写真家などに贈られた。

例えば、280番のA型は、1925年にフェルディナント・フォン・ツェッペリンに贈られている。硬式飛行船を実用化し、1900年に飛行船で来日。皇居を避けつつ上空を飛来し「Z伯」として有名となったドイツ人だ。
さらに、10000番のA型は、1928年、フーゴー・エッケナーに贈呈された。フェルディナント・フォン・ツェッペリン(Z伯)没後に飛行船事業の代表を務め、飛行船による世界一周旅行など、グラーフ・ツェッペリン号の歴史的飛行の多くを指揮した人物である。
そして、このエッケナー博士は1929年、飛行船で65名の乗員を乗せて来日。博士が船から降り立った際、首から下げていたのがそのライカであり、ここに日本でのライカブームが始まった。ライカの輸入は1926年にすでに記録されているが(「ライカ一台、家1軒」という神話もある)、スナップショットの神様といわれている木村伊兵衛氏はフィルムニュースでエッケナーのカメラを見て衝撃を受け、持っていたカメラを全て処分。ライカを購入したと言われている。

1-3.顕微鏡とライカ

ライツ社の祖業が顕微鏡にあったことから、顕微鏡に関係のある科学者達の間で、顕微鏡写真撮影用としてライカの持つ特徴の一つが認められた。このためライツ社は、顕微鏡写真用のライカを別に供給。祖業からの道も開き、ライカは一層普及してゆく(ただし、この顕微鏡写真撮影用のカメラはライカの通し番号には含まれない)。

2.C型

2-1.レンズ交換ができるC型誕生

このように、各方面から普及していったライカは、普及すればするほど、レンズが一つしかない不便さが目につき始めた。実際、ライカ愛好家として有名な井上鐘(日本で始めてレントゲンを輸入し、ライカの輸入代理店でもあったシュミット商会の二代目社長)もドイツに本社を構えるライツ社へ問い合わせを送っている(しかし、これに対するライツ社の回答は、「各種の異なる焦点距離のレンズをどのように簡単にボディに結合するか。その方式を実現するのは容易ではない」という旨の反論だったそうだ)。
しかし一方で、ライツ社はA型発売以降その基本思想であるシステムカメラを完成させるべく、すべての撮影対象に対処できる周辺機器や暗室用具などの充実を図っていた。そして、いよいよ1930年4月、C型(レンズ交換が可能なⅠ型)を発表。愛用者の「レンズ交換ができるライカ」を希望する声に応えることとなる。

2-2.C型前期「下三桁の銘記」

しかし、この初期のC型は確かにレンズ交換式だったが、どのボディにも交換レンズが合うわけではなかった。特定のボディに適合するようレンズを調整する必要があり、新たに交換レンズを購入する際にはライツ社に自分のボディNo.を伝え、そのボディに合うよう交換レンズを調整してもらななければならなかった。そのため、これらの交換レンズとボディの組み合わせを表示するために、ボディNo.の下3桁がレンズ鏡胴に刻み込まれた。

2-3.C型後期「0マーク」

この不便さを解消したのが、フランジバックの統一である。1931年、ボディ側レンンズマウントからフィルム面までの距離を28.8mmに統一し、マウント口径を39mm、スクリューマウントのピッチを1/26インチと規格化。これがいわゆる「ライカマウント」で、このマウントを装備したC型後期はそれまでのものと区別するため、マウント上部に0マークの刻印がある。これはⅢ型の初めまで続くのだが、古いレンズにもフォーカシングレバーの近くに小さく0と刻印されたものを見る。

2-4.交換レンズ

C型が発売された年には、様々な交換レンズも発表された。
まず、C型と同時に発売された標準レンズ、エルマー50mmF3.5、広角用としてエルマー35mmF3.5、望遠用としてエルマー135mmF4.5の3つがある。これらのレンズには既存カメラになかった焦点深度輪が考案され、鏡胴に刻み込まれ一層便利になった。
また、少し遅れて、高速用標準鏡玉としてヘクトール50mmF2.5が、超高速望遠鏡玉としてヘクトール73mmF1.9が発売された。特に後者のレンズは、その後コンタックスが誕生するまでの長い期間、他の追従を許さない高速レンズとして名を馳せたばかりでなく、今日でも人気の高いレンズである。ブラックとセミクローム仕上げ、直進及び回転ヘリコイドの三種類がある。
さらに、あのエルマー90mmF4もこの年の発売だ。ただ、当時のエルマー90mmF4は今日のものと外観が大きく異なり、ヘリコイド鏡胴部が太く、レンズ部が細いことから俗に「ダルマ」と呼ばれていた。

2-5.初期のファインダー

各種優秀なレンズが発売となるのは喜ばしいことだったが、一方で問題となったのが、これら新発売となったレンズ用ファインダーだった。というのも、当時のライカのファインダーは50mm専用だったのだ。
そこで、まず最初に売り出された135mmについては、ライツ社は非常に原始的なファインダーを採用した。当然パララックス補正などはなく、ボディ備え付けの標準レンズ用ファインダー前面下部に回転式135mm用マスクを取り付け、135mmレンズ使用時にはこれを上部に回転。ファインダーの前面をカバーさせ、視野を変える方式を採用。これは当時「135mmの視野絞り」と呼ばれていた。

しかし、続いて発売される各種焦点距離のレンズに対しても同様な方式で対処などできるはずもなく、ライツ社はここに、ユニバーサルファインダーを開発する。ユニバーサルファインダーとは、内蔵ファインダーでカバーできない焦点距離レンズを使う際に外付けとなるファインダーを利用するのだが、その外付けファインダーの中でも回転することによって各種の焦点距離(画角)に切り替わるタイプのものがそれである。一つのファインダーで様々なレンズに使用できるのが特徴だ。そして、この時ライツ社が発表したユニバーサルファインダーは、当時「鉄砲ビドム」や「逆像ビドム」と呼ばれる左右逆像のものだった。また、このファインダーはその性質上、すべての交換レンズを刻み込むと見づらくなるため、使用者の揃えるレンズ群によって最適なものが選べるよう、いくつかの種類が交換レンズの発売に併せて売り出された。

2-6.C型のまとめ

いよいよレンズ交換型のカメラ「C型」を発表したライツ社。
しかし、C型初期のレンズ交換は、購入時に自分のボディに合うようライツ社にレンズを調整してもらう必要があった。というのも、ボディの規格が統一されていなかったからである。そのため交換レンズとボディの組み合わせを表示するために、ボディNo.の下3桁がレンズ鏡胴に刻み込まれた。

ところがその一年後の1931年には、ライツ社はその点を改善する。フランジバック(レンズマウントのマウント面から、フィルム面までの距離)を28.8mmに統一し、交換レンズもそれに合致するよう規格化したシステムに改良。どんなボディにもレンズが交換できるようになり、初期のC型と区別するため、レンズ取り付けフランジの12時の位置に0マークが刻み込まれた。

そう。ここにライカシステムを語る上で非常に需要な改革が起きたのである。

3.Ⅱ型(DⅡ)

1925年春のライプチッヒ見本市にて、初めてライツ社のカメラ「A型」が発表された7年後の1932年、同じく春のライプチッヒ見本市にて「Ⅱ型」は発表された。「Ⅰ型」(日本ではA型、B型、C型)の後継機種であり、連動距離計を内蔵するライカである。ちなみに、日本では「DⅡ」と呼ばれ、アメリカでの一般的な呼称は「D型」だ。

Ⅱ型とⅠ型との最大の相違点は、連動式距離計と引上げ式の巻き返しノブである。
また、装着された標準レンズも、この頃までは一回転式であったものが半回転式に変わった。また、Ⅱ型は次のモデル・Ⅲ型の発売によって製造が中止されることはなく、Ⅲ型と共に後期は全てクローム仕上げである。

3-1.連動距離計の発明

小さくても写りの良いライカは絶大な人気を博し、一方でユーザーの声に応え発展と改良を続けてきた。1930年には困難とされていたレンズ交換型の「C型」発表に至った。しかし、こうして改良に改良が重ねられ、レンズ交換式が登場すると、ライカ愛好家は距離計による測量をレンズ距離目盛りにいちいち合わせて使わなければならないことに不便さを感じるようになる。特に、長焦点レンズや高速レンズの際は、この方式の不便さは増大した。

そこで、この不便さを解決すべく開発されたのが、C型に単独距離計と同じ機構を組込みんだ「Ⅱ型(DⅡ)」である。

しかし、世界で最初の距離計連動カメラは、この「Ⅱ型(DⅡ)」でもなければ「コンタックスI型」でもない。1930年に発表されたアグファ・スタンダード(シュタンダルト)の「CRF付きとフランツ・コッホマン」の「エノルデ」である。とはいえ、この連動距離計(そもそもはレンズの移動量をミラーの回転に伝える距離計内部の機構を意味するが、日本ではカメラに組み込まれた距離計を指す。ちなみに、距離計だけの場合は、「単独距離計」と称して区別している)の発明こそ、ライカがカメラの王様として君臨することができた大きな要素となり、その後の小型カメラの進歩に対して多大な影響を与えることとなった。

3-2.バリエーション

Ⅱ型にはいくつかのバリエーションがあるが、まず特筆すべきバリエーションは「クロームメッキ仕上げ」のライカだろう。
今までは、カメラと言えば表面は黒く塗られ、金属部はニッケルメッキという「ブラックペイント」が常識だったが、Ⅱ型の途中からはクロームメッキ仕上げのタイプが登場し、当時はこの輝くクロームライカが大好評をもって迎えられ、その生産数も1935年にはブラックペイントを上回った。
また、Ⅱ型は1932年〜1948年に製造されており、第二次世界大戦を含む長い期間に渡って作られた。そのため、製造時期によって初期型、中期型、後期型、そして戦後型と4つのバリエーションがある。製造台数はおよそ5万台。

3-3.8つの条件

さて、こうした特徴を持つⅡ型だが、オスカー・バルナックはそのⅡ型を開発する際、以下の8つの項目を開発条件として設定していた。

①連動距離計を装備させても、カメラの大きさを増大させてはならない。
②Ⅰ型ライカの持つ、美的特徴を損なってはならない。
③「Ⅰ型ライカ」と「単独距離計」を足した金額より、あまり高価になってはならない。
④ライカの各種焦点距離レンズが、すべて高度に精密性を保って連動しなければならない。
⑤最高の速写性は必須。
⑥その新型の構造はパテントを取得することができ、かつ、目新しいデザインによりにより類似品を防止することができなくてはならない。
⑦連動機構は永久的な耐久力を持たせた上、使用によって摩耗してはならない。
⑧新機構を旧型に組み込んで、容易に改装できる設計でなければいけない。

もちろん、Ⅱ型はこれらの条件をすべてクリアした訳だが、カメラ設計者は上記8条件にとても苦しめられた。特に連動距離計の内蔵には苦労したそうだが、Ⅱ型の連動距離計の仕組みは、レンズのヘリコロイドを回すと、その前後の動きをボディ側に設けた「コロ」と呼ばれる部品が距離計の機構に伝達し、そしてコロの動きはレバーで縮小され、距離計のミラーの微妙な動きに変換される、というものだ。そして、ピントに関しては、レンズのヘリコイドの回転に連動して距離計内の二重像が移動し、ぴったり重ねるとピントが合うという仕組みだった。

こうした機構のお陰で、確実かつスピーディなピント合わせが可能になったが、距離計用接眼レンズが構図決定用のファインダーとは別だったため、ピント合わせとフレーミングは同時にできなかった。

しかし、設計条件⑥の通り、距離計の基線の中間を直角に通る視野ファインダーの卓越した構造は、カメラの小型化に大きな利益をもたらしたばかりでなく、特許によって保護された。また、設定条件⑧についても、本国では実施されたそうである(ただし、日本では外貨の問題もあって、当時のライカ輸入代理店「シュミット」では受けていない)。

3-4.Ⅱ型と同年に発売されたレンズ

Ⅱ型の発売と同年に発売されたレンズが、エルマー105mmF6.3である。このレンズにより、ライカは7種類の交換レンズ群(エルマー50mmF3.5、エルマー35mmF3.5、エルマー135mmF4.5、ヘクトール50mmF2.5、ヘクトール73mmF1.9、エルマー90mmF4、そしてこのエルマー105mmF6.3)を持つに至った。
このエルマー105mmF6.3は軽量化に重点をおいて設計されたレンズだった。そして、ヘクトール73mmF1.9とともに専用レンズ・フードを備え、レンズ・フードは逆にかぶせてその上からレンズキャップをすれば携帯性も上がることから、多くの山岳家に愛用されたレンズだった。

このように、各種レンズのそろった環境でのⅡ型は、その名声をいっそう高めた。そして、ライカ愛用者は増加の一途をたどり、以来、ライカは高級カメラの称号を勝ち取るに至るのである。

4.スタンダード

1932年、連動距離計を内蔵したⅡ型の発売にやや遅れて、スタンダード・ライカが発売された。スタンダードは、基本的にはC型の延長上にあるモデルだが、ライツ社ではこれをⅡ型の普及モデルとして位置づけ、Ⅰ型ではなく「スタンダード」という名称を与えている。

4-1.概要

スタンダードは、Ⅱ型から距離計機構を取り去ったモデルであり、スタンダードは基本的にC型と非常に似ている。製造期間は長く、1932年〜1950年。生産台数はおよそ27,000台。

4-2.C型とスタンダード

C型とスタンダードとの大きな相違点は、外観上で三つある。
1つは、巻き返しノブ。C型はA型、B型と同じく、太くて引き上げ不能なタイプであるが、スタンダードはⅡ型以降と同タイプで直径の小さい引き上げ式。
2つは、仕上げの違い。C型までのライカはすべて黒塗り仕上げのブラックペイントであるが、スタンダードには黒塗り仕上げと梨地クロームメッキ仕上げの二種類が存在する。
そして3つ目は、アクセサリーシューのベースプレートの形状である。スタンダード型では、Ⅱ型と共通の角形となった。

4-3.スタンダードのバリエーション

先述の通り、スタンダードは1932年〜1950年の18年もの間に製造されたため、その製造時期によってバリエーションがある。

初期のスタンダード型は、C型と一ヶ所しか変更点がない。巻き返しノブを引き出し式の細型に改良しただけである。シャッタースピードダイヤルはA型以来の大きいものが付いていて、ピント調節用の覗き穴がカメラ背面に設けられ、底蓋の引掛用の突起も小型、そして全てブラック仕上げである。

中期のスタンダード型は、Ⅲa型と同様、普通の大きさのシャッタースピードダイヤルに変更され、背面の調節穴も廃止。底蓋引掛用の突起は太いものに改善された。なお、これが普通のスタンダード型であり、仕上げは黒塗り仕上げとクローム仕上げ、及びセミクローム(黒塗り金属部分クロームメッキ)の三種類がある。一部にネックストラップ用のアイレットの付けられているものもある。

後期のスタンダード型は、C型同様、スロースピードダイヤルの取り付け座と、ネックストラップ用のアイレットが付いている。この型のスタンダードは、第二次大戦後に製造されたものである。

5.まとめ

オスカー・バルナックの夢がウル・カメラとなって、ヌル・カメラを経てA型が誕生した。
A型にはレンズの種類によっていくつかのバリエーションがあり、ライツ社がユーザーのために試行錯誤を重ねたことは容易に想像できる。
そして、ライツ社は愛用者からのスローシャッターを求める声に応え、B型を発表する。が、これは残念なことに、ライカの魅力である「巻き上げとシャッターチャージが同時にでき、二重写しが防げる特徴」を失うことで高い評価は得られなかった。

それでも、「レンズ交換ができるライカ」を求めるユーザーの声が大きくなれば、ライツ社はそれに応えようとするから素敵だ。そして、相当ハードな条件を8つも設定し、見事それをクリアしてC型を発表する。
特筆すべきは(C型に求めた8つの条件はどれも厳しいものであるが)、その中でも、「新機構を旧型に組み込んで、容易に改装できる設計にする」には誰もが驚くことだろう。心底、ライツ社はライカ愛用者のことを真剣に考えているのだな、と思う。

次にユーザーの間でわき上がった声は、測距だった。レンズ交換式のC型が普及し始めると、当然のように単独距離計による測距が不便になってくる。特に、常に被写体が動くシーンでは困難を極めた。そこで単独距離計と同じ機構をC型に組み込んだライカが誕生する。日本ではDⅡ、アメリカではD型と呼ばれる、Ⅱ型である。連動距離計を発明により、ここに焦点距離35mmから135mmまでのレンズが使えるシステムカメラの原型が誕生した。

さて、ユーザーとともに発展してきたライカ。いったい次はユーザーのどんな声に応えるのだろう。

また近日中にお目にかかります。お楽しみに。

お見積もりはこちらから

ライカ関連トピックス